5回豊中一中21期生同窓会が開かれました

 

211日(土)の午後5時から、第5回豊中一中21期生の同窓会が開かれました。当日は新しくなった豊中一中の校舎などを見学した後、これも新しくなった曽根駅前の豊中市文化芸術センター(旧豊中市民会館)に場を移し、恩師の水谷勇、吉田叡隆、武田節子、畑中護の4先生に、卒業生45人(男性27人、女性18人)の計49人に集まっていただきました。

 

●思い出や現在の様子を語り合いました

全員での記念撮影の後、同窓会代表世話人の篠原正則さんから、「皆同じように今年か来年65歳を迎えるわけで、同窓生以外の集まりだとお互いの年齢を気にしながら話し方を考えなければならないけれど、この場では年齢を気にせず気楽に話せる」とあいさつがありました。篠原さんのあいさつの後、最近亡くなられた方3人に黙とうを捧げました。

続いて4人の恩師の紹介があり、竹腰恵治さんが乾杯の音頭を取ってくれました。

 この後しばらく会食と歓談が続きましたが、中学校時代の思い出とともに、お孫さんの話や現在の趣味、仕事の話などが語り合われていました。

 

●今回から各小学校の校歌斉唱も

 前回からの変更点として、今回は各出身小学校と一中の校歌の斉唱をすることになりました。歌う前は「歌詞忘れた」などと言う人もいたのですが、脇阪真寿美さんの指揮のおかげもあって、皆さん結構ノリよく歌っていたのが印象的でした。各小学校の校歌斉唱のあと全員で一中校歌を歌いましたが、意外にこちらの歌詞を覚えていないという人が、特に男性で多いようでした。やはり、小さい時の記憶の方がよく残っているのでしょうか。

 

●フリー・トークで衝撃も

 続いて、中島隆さん、永田静代さんの司会者コンビによるフリートーク・インタビューに移りました。中学時代、特に部活や先生方の思い出、友人関係の思い出、現在の仕事の話、趣味の話と多彩な話題が20人以上の人たちから出されました。「当時のまま残る体育館を見るとウルウルする」、「神戸の三宮まで遊びに行った」「孫がこれだけいる」といった話題もよく聞かれましたが、現在お孫さんが一中の1年生というお話もありました。ある男性からは「実は〇〇さんと付き合っていた」という衝撃的(?)なお話も飛び出しましたが、当時このようなお話に敏感なはずの年頃だった周囲の人も気づかなかったようで、「え~、へ~」という声がかなり聞かれました。

 

●先生方のお話~当時はおおらかだった

 ご都合で先にお帰りになった水谷先生以外の3先生のごあいさつや思い出を聞くことができました。

 武田先生は、「50年ぶりに皆さんにお会いしましたが、当時は14歳ぐらいで皆さん可愛らしい子供たちでした。それが50年経つと皆さん立派な大人になられ、誰が先生か誰が生徒かよく見分けられなくなりました。今回、21期生の同窓会には初めて参加しましたが、そのきっかけは山本修平君が自宅まで訪ねてきてくれたことです。修平君も今は立派な大人ですが、目だけは昔のままで会ったとたん『あ、修平や』と思った。私は新卒で一中に赴任しましたが、曽根駅前はまだダイエーも何もなく、古い屋敷に爆撃の後さえ残っていたことを皆さんにお会いして思い出し、この会を楽しませてもらいました」と話されました。

 畑中先生は、「当時の先生方は皆頑張っておられた。若い先生たちも職員会議でもベテランの先生方に負けないぐらい発言していました。私も23歳、国語を教えるかたわら卓球部の顧問となって頑張っていました。当時は稲葉先生率いるバスケットボール部が強豪で、何とか卓球部をバスケットボール部なみにしたいと思い、中学では絶対認められない合宿を計画しました。そこで校長だった梅垣先生の自宅まで行って直談判し、合宿を認めてもらい萩の寺を借りて合宿を実現しました。当時はおおらかで楽しい時代だったと思います。一中を離れてからは書道に打ち込み、今も続けています」と話されました。

 吉田先生は、「還暦過ぎた皆に呼んでもらうのは結構なことです。ところで、1415歳の一中生というと子供だった。だから、やんちゃと言っても可愛いものだった。教師である我々も宿直のたびに麻雀をするなどよい時代だった。その後赴任した他の中学では、本当にワルがいた。一中は生徒も教師もおおらかなよい中学だったと思います。勉強が得意な者は勉強に励み、運動が得意な者は運動に励めばよいと考えて、力まずに教えてきました」と振り返られました。

 先生方の話を聞いた会場からは、「先生方もみな当時は20代で、今の我々の半分の年にもなっておられなかったんだなぁ」という感慨も聞かれました。

 

●おわりに

 会を終えるにあたり幹事の紹介があり、同窓会事務局の武市進さんから「同窓会の運営は一人ではできない。皆の協力のおかげです」と閉めのあいさつがありました。

 今回の会場は市の施設であるため、机の配置などの会場準備や食事・飲み物の手配はすべて幹事で行う必要がありました。閉会後も幹事と有志が残ってくださり、あと片づけまで立派にこなしたことを付記しておきます。会の企画、受付、会費徴収、ケータリング手配などに携わっていただいた幹事の皆さんに感謝します。